沖縄

7年くらい前に沖縄へ旅行に行って以来、私は沖縄のファンだ。

沖縄が好きで、将来住みたいとすら思っている。

ゆっくりで道も広くてあの開放的な雰囲気に魅了された。

海が好きな私にぴったりの場所。

日本の他の場所とは全く違う雰囲気。東京なんかとは比べ物にもならないくらい良いところだと思っている。

明日から、沖縄でリゾートバイトをしながらのんびり暮らすつもりだった。

 

今家族がゴタゴタしていてる。こんなにゴタゴタしている家族を見るのは初めてかもしれない。

今、この状況でとてもじゃないけど自分だけ人生を謳歌したいとは思えない。

特に今まで「仲が良い家族」ではなかったから私には関係ないと今家を出ても誰も何も思わないと思うけど、この状況の家族を放っておけるほど私は冷酷な人間じゃないみたい。

この問題がちょっとでも改善して、大丈夫だと思ったら沖縄に移住しようと思う。

それまでは、引き続きこの地で頑張る。

まあ、お金もたまるし、家事をする必要ないから良いかな。

その間に、時間もあるから、勉強したかったこと学ぼうかな。

もうちょっとしっかりしないと、と思うと同時に改めて私は臨機応変で強い人間だなーと自分のことながら感心したりもした。

多分、今後何かがあっても私なら大丈夫な気がすると思う。

新年早々、久々に自分に対してポジティブな感情を抱いた。本当に久しぶり。

 

沖縄、いつか移住する。

 

2023

毎年のことながら、もう新年かー。早いなーとしみじみ思いながらも焦る。

去年は、とにかく辛い1年だった。

本当に思い出したくもないほど。

新しく始めた仕事が辛く、適応障害になった。そこから、治療、休息の日々。

全てが嫌になった。自分が嫌になった。

実家に戻った。あー大分だなあと思った。

10年ぶりに住んだ大分でも私は馴染めなかった。家でも馴染めなかった。辛かった。

居場所はないと思った。

適応障害も治りつつある、順調に。仕事にも行けてる。

今年は、自分の足で行きたいとこに行って、やりたいことをする。

居場所を見つける。

去年は家から出なかったから。

ゆったり、楽しく過ごせたら良いなあと思う。

 

沖縄での生活が楽しみ。

マリンスポーツに色々挑戦したい。サーフィンも上手くなりたい。

仕事を頑張る年になったらなあ!

英語もまた頑張ろうと思えたらなあ。

ヨガとか自分がリラックスできることをどんどんやりたい。いつかマラソンやりたいから走るのも頑張る。

カメラはじめる。動画作成始める!!!

去年より、少し社交的に過ごせたらなあ。

 

2023年もまだ生きれる。

よろしくお願いします。

私の居場所

私の居場所を、まだ見つけれていない。

今回わかったのは、私の居場所は、大分の実家でも大分でもないということ。

心地よく入れる場所、どこだろう。

遠慮せず、ありのままで入れて、気楽に生きていいと思える場所。

多分、自分の足で、見つけていかないと。

見つかるかなあ来年。

何者にもならなくていい。

ずっと、10年以上私は何者かになれると思っていたし、何者かにならないといけないと思った。

高校にいた普通の、平凡な人たちより自分はずっとすごいことを成し遂げることができる人間だと思っていたし、その「何かすごいこと」を早く成し遂げて早く私を馬鹿にしてきた人たちを見返してやりたいと思った。

 

私は何者にもなれないと気づきのに10年以上もかかった。

頭では、私は「他の人とは違う」と分かっていても実際には人を見下してるが故、友達がいなかったり恋人もいない、仕事も転職を繰り返して安定してない。

30歳になってももうすぐ定年の親のスネをかじっては心配ばかりさせている。

もはや「何かすごいこと」が何かもわからず頭で考えていることと自分の状況が違いすぎて辛かった。

何も才能がない。好きなこともない。やりたいこともない。色々挑戦してみたけど何一つ続かなかった。

なのに、いつも「存在しない何か」を追いかけてた。疲れた。

周りの人やSNSを見るたびに自己嫌悪に陥った。

 

今は時間をかけてでも何もできないスキルも経験もない強みもない自分を苦しいけど受け入れないと。と思う。

私は何者にもなれない。ということを。

だから、地道に仕事をして美味しいもの食べて、たまに好きな旅行に行ったり遊びに行くのが今の私に必要かなと思う。

サラリーマンの父親のように。

子供の頃、父親のように毎日毎日来る日も来る日も退屈な仕事をするような大人に将来なりたくないと思っていた。

でも、父親はその仕事で家族を養い私の援助もやってくれている。

それが大人になるということなのかな、と最近は思う。

私は私のことを諦めることにした。

ずっとプライドが高かったと思う。
好きなことも特別熱中できることもなく、でも根拠はないけど自分はいつか何か大きなことを成し遂げることができる、成功できる「何者」かだと思ってた。高校生ぐらいの頃くらいからずっと。
多分、自分が平凡すぎて、自分に取り柄がなさすぎて、そう思わないと色々苦しかったんだと思う。
でも適応障害になって、何にもやる気が起きなくて、何をするにも疲れて、ひたすらボーッとした結果、自分はそんな大それた人間じゃないって気づいた。
・・・というか、自分が「何者」かと思うことで自分で自分の首を絞めているんだと気付いた。

考えることすら辛くて、そんなことを考えなくなったら少し楽になったような・・・。

 

前の私は「諦める」というのが大嫌いだった。なんかカッコ悪いし。

プライド高いから、周りから中途半端なやつ・できないやつって思われるのも怖かった。「諦める」ことができない人生だったと思う。

適応障害になって、仕事のことも、「何者」かになることも、恋愛のことも、周りにどう思われるかということも、自分のことも少し諦めた。

諦めるというか期待しないようになった。

将来、幸せな人生が待ってるかも!みたいな夢物語はやめた。夢見てるだけ時間の無駄かもね。

なーんも期待しないようにした。その方が生きやすい。

 

元々ファッション業界に入ったのも「おしゃれを楽しむ」より「人にどう見られるか」を気にしすぎてたからだと思う。

おしゃれが好きで、お洒落に関しての探究心がある人に比べて、なんか自分って薄いなーと思った。

会社員もやったけど、反吐が出るほどむいてなかったからもう二度とできないと思う。

「自分でもストレス少なくできるもの」「少しでも楽しいと思えるもの」なんだろー。

 

 

田舎で心穏やかに生きたい。