私は私のことを諦めることにした。

ずっとプライドが高かったと思う。
好きなことも特別熱中できることもなく、でも根拠はないけど自分はいつか何か大きなことを成し遂げることができる、成功できる「何者」かだと思ってた。高校生ぐらいの頃くらいからずっと。
多分、自分が平凡すぎて、自分に取り柄がなさすぎて、そう思わないと色々苦しかったんだと思う。
でも適応障害になって、何にもやる気が起きなくて、何をするにも疲れて、ひたすらボーッとした結果、自分はそんな大それた人間じゃないって気づいた。
・・・というか、自分が「何者」かと思うことで自分で自分の首を絞めているんだと気付いた。

考えることすら辛くて、そんなことを考えなくなったら少し楽になったような・・・。

 

前の私は「諦める」というのが大嫌いだった。なんかカッコ悪いし。

プライド高いから、周りから中途半端なやつ・できないやつって思われるのも怖かった。「諦める」ことができない人生だったと思う。

適応障害になって、仕事のことも、「何者」かになることも、恋愛のことも、周りにどう思われるかということも、自分のことも少し諦めた。

諦めるというか期待しないようになった。

将来、幸せな人生が待ってるかも!みたいな夢物語はやめた。夢見てるだけ時間の無駄かもね。

なーんも期待しないようにした。その方が生きやすい。

 

元々ファッション業界に入ったのも「おしゃれを楽しむ」より「人にどう見られるか」を気にしすぎてたからだと思う。

おしゃれが好きで、お洒落に関しての探究心がある人に比べて、なんか自分って薄いなーと思った。

会社員もやったけど、反吐が出るほどむいてなかったからもう二度とできないと思う。

「自分でもストレス少なくできるもの」「少しでも楽しいと思えるもの」なんだろー。

 

 

田舎で心穏やかに生きたい。